土壌汚染による健康被害の歴史

 近年、豊洲市場での土壌汚染問題をはじめとして、さまざまな土壌汚染や水質汚染に関係する問題が明るみになってきています。

 土壌汚染とは、土壌の中に有害物質(有機溶剤・重金属・油・農薬など)が浸透もしくは混入している状態です。汚染を放置していれば、人への健康被害が生じる可能性があります。

土壌汚染問題の歴史

 歴史を振り返ると、日本で最初に土壌汚染を含めた環境汚染が明るみになったのが明治時代で、それから戦後の高度成長期には人体に深刻な影響を与えた有名な公害事件が発生しました。

日本最初の公害といわれ、有名なのが明治時代初期以降に発生した「足尾銅山鉱毒事件」です。

 足尾銅山の開発により、排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が鉱山周辺の土壌や河川・海域を汚染して、人への健康被害を含めて甚大な被害を与えました。

 具体的には、製錬所から毎日排出される煙に含まれている亜硫酸ガスにより、林野の枯死ではげ山となりました。渡良瀬川の水源地である足尾の山々の保水能力が失われ、下流域でたびたび洪水が発生し、そのたびに鉱毒被害が拡大することとなりました。有毒な地下水が渡良瀬川に放出されたことで、そこに生息していた魚類が絶滅し農耕地を荒廃させてしまいました。渡良瀬川流域に、今もその影響は残っているといわれています。

 その後の昭和期には、水俣病やイタイタイ病などの大きな公害も起き、有害物質による汚染が深刻化してきました。そのため、1958年には工場排水を規制する法律が施行され、1970年に農地用の土壌汚染の防止等に関する法律、公害防止企業者負担法などが制定されるなど、土壌汚染に対する整備が進められてきました。

<昭和期の代表的な公害>

・水俣病:熊本県の水俣湾周辺で発生したメチル水銀化合物による公害

・新潟水俣病:新潟県阿賀野川流域で発生したメチル水銀化合物による公害

・イタイイタイ病:富山県の神通川流域で発生したカドミウムによる公害

 

土壌汚染対策法の目的

 土壌汚染対策法は、土壌汚染対策の実施を図り、もって国民の健康を保護することを目的として制定されました。第5条には、汚染された土壌を人が摂取する可能性のある土地について規定されています。「土壌汚染が存在する蓋然性が高い土地」であって、「土壌汚染るとすれば、人の健康に係る被害が生ずるおそれがある」と判断された場合に、都道府県知事は「調査の範囲」「調査すべき特定有害物質」「報告の期限」を定めて、法第5条1項の調査命令を発することができます。

 では、実際に化学物質による健康被害が発生してしまった事例はあるのでしょうか。

  実際、土壌汚染対策法制定以降、第5条が適用された事例は極めて稀です。これは、化学物質に関する様々な法律による規制により、各企業の化学物質取り扱いの意識、環境保全の意識が高まりつつあるため、人への健康被害が懸念されるほどの高濃度汚染が疑われる事例がなくなってきたことに要因があると考えられます。

 ただし、日本では、世界第二次大戦後に迎えた高度経済成長期に工業化や都市化が進み、多くの有害物質を不適切に処理していた実態があります。地中に浸透した化学物質は、数十年もの長い期間留まり続け、土壌や地下水を少しずつ汚染させていき、何十年もたってから問題が明るみに出ることがあります。つまり、現在土壌汚染調査で発覚されている土壌汚染の多くは、法制定以前の化学物質の土壌中への浸透を原因とする、いわば歴史の負の遺産である可能性があります。特に都市部においてはまだまだ多くの土壌が汚染されたままになっていると考えられます。

 私たちは、未来に負の遺産を残さないためにも、積極的な土壌汚染の調査を行い、現状について把握することは、有効な対策であるといえるでしょう。

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